fashionclubのブログ

ブログ名は部活動のイメージでつけています。洋服好きな40代、アラフィフです。ファッションのこと、年齢の悩みなど書いていきたいと思っています。リアルな友だちに同じ趣味の人がいないので、服好きな方に仲良くしていただけたら嬉しいです。

ファッションを自由に楽しもう

面白いもので

お店で

ハンガーにかかっている洋服を見て

 

素敵!

 

と思っても

着ると

 

あれれ?

 

となることがある

 

 

 

 

服は

それだけで完結している

作品

ではなくて

 

自分の身体と合わせて

その人のイメージを作っている

 

 

 

なんでイメージかと言うと

誰も

本当の姿を見ることは出来ないから

 

自分の頭に映る自分が

他人の目に映る自分と

必ずしも

イコールではないし

 

どっちが真実の姿かも

わからない

 

人の目に映り

頭で処理される姿は

どれもみな

イメージでしかない

 

幻想でもあり

真実でもある

 

 

 

 

 

自分が似合わないと思う服を

人からは似合うよと言われる

 

それは

お世辞の場合もあるけど

全部ウソだと思っちゃいけない

 

 

だいたい

着ると明らかブスになる服なんて

逆に見つけるのが難しいと思う

 

食べられないほど不味いラーメンなど

存在しないように

 

あ、過去にあったや

食べられないほど不味いラーメン

 

 

 

もとい

食べられないほど不味いカレーなど

存在しないように

 

それもあったかな?

 

 

 

まぁいい

つまり

そう言うことよ

 

 

 

 

 

人には色んな側面があるように

色んな服が似合って良いはず

 

そのイメージが

自分が思っている自分とは

合わないだけで

 

似合うよと言ってくれた

相手が思っている自分には

本当に合っている

ってことなんじゃないだろうか

 

 

だいぶややこしいけど

そう思う

似合わない服なんてない

 

似合わないと"思う"だけなのよ

 

 

 

 

 

 

 

その洋服を着ることで

自分が"戦略的に"

作り出すイメージが

 

自分はこの様な人間である

もしくは

こうなりたい人間である

と言う

メッセージになり

 

そのメッセージを受け取った相手が

自分の

価値基準に合わせて

その人を識別し

分類し

ファイリングする

 

 

そして相手が

その人に持ったイメージが

またその人に

何らかの形

メッセージになって返ってくる

 

 

そうやって

イメージのやり取りをして

自分という人間の

社会的な

輪郭が作られていく

 

 

 

洋服が

けして自己満足なものではないのは

それだからだ

 

 

わたしは

人にたくさんイイネを

もらえることより

 

自分が自分を好きでいられる服が着たい

と思うけど

 

それだって

周りの評価を

全く無視しているわけじゃない

 

 

他人をまるで意識しないのは

ファッションを

生み出さないと思うから

 

 

ここら辺もややこしいけど

 

 

 

時間があるとき

こんなことばっか

考えているけど

 

なかなか核心に辿り着けないわたしです

 

 

 

 

わたしが人に見せたい

自分は

BLESSの服が似合う人!!

 

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そのためにはあと5キロぐらい

やせないとだな・・・ 

 

 

 

もし子