fashionclubのブログ

ブログ名は部活動のイメージでつけています。洋服好きな40代、アラフィフです。ファッションのこと、年齢の悩みなど書いていきたいと思っています。リアルな友だちに同じ趣味の人がいないので、服好きな方に仲良くしていただけたら嬉しいです。

自分を肯定すること

幸せなことに条件が必要って

悲しいことだよね

 

お金があるからハッピー

健康だからハッピー

友だちがたくさんいるからハッピー

 

じゃあ何もなければ

不幸せなのかな?

 

 

 

 

 

ここからは友人から聞いた話

 

 

その友人が幼いころ

近所に町内一美人のお姉さんが住んでいて

見初められて

とある裕福な家に嫁いでいったそう

 

 

何不自由なく

幸せに暮らしているのだと思っていたら

 

何十年も経ったある日

近所のコンビニで彼女は働いていて、、、

 

しかも彼女の家からは

ずいぶん遠く離れたお店だったらしい

 

意外に思った友人が

母親にその話をしたところ

 

母親は事情を知っていたらしく

教えてくれた

 

お金も美も家族も友人も

土地も何もかも持っていた彼女は

 

あるとき急に生ているのが

しんどくなっちゃったんだって

 

ずいぶん辛い時期があって

でもコンビニでアルバイトを始めたら

また生きるのが楽しくなったんだそう

 

 

 

 

なんだか重たい話をしてしまったかもしれないけど

そんな話を聞くと

幸せは条件じゃないなって思うよね

 

 

 

じゃあどんなことが幸せなのかなと考えてみるけど

良くわからないな

楽しい、嬉しいは分かりやすいんだけどね

 

わたしはどんなときに幸せって思うんだろうか?

 

 

 

わたしだって

忙しない日々の中でも

自分の置かれている環境とか

周りの人に

ありがたいなぁと思う心はある

 

前述したお姉さんも

そうだったと思う

 

 

じゃあ何で?

生きるのがしんどいのかなって想像すると

もしかしたら

自分で自分が嫌いだったんじゃないかなぁ

 

嫌いな人とは離れればよいけど

自分からは絶対に逃げられないもんね

 

 

 

自分が自分であること

良い部分も悪い部分もあり

生々しい感情を持っている人間である

そのまま丸ごと

自分自身を肯定すること

 

自分はこうだ

こう言う人だと

ありのままで人の中にいられること

 

 

そうある人は幸福なのかもしれない

 

 

 

 

考えてみると洋服は

ありのままの自分を

肯定するツールでもあるかもしれない

なんてまた洋服の話にこじつけているみたいだけども

 

でも社会に合わせて服を着ているよりも

自分が好きな服を好きなように着ている方が

断然幸せだもん

 

 

 

例えば制服

自分自身であるよりも

学生であること

その会社の人間であることが

優先されている状態ってことで

ありのままの自分自身ではない

 

そう言うことに息苦しさを感じることって

誰しもあると思う

 

 

急にどこかに逃げたくなること

 

よくさ、電車に乗って

通学、もしくは通勤しているときに

 

いつもの駅を乗り過ごして

このままどこかへ行っちゃいたいなー

なんて思う瞬間が

誰にでも一度はあったんじゃない?

 

 

でも実際そんなことできないし

できたとしてもそれで得られる自由は

ほんのいっときのこと

 

 

じゃあ学校や会社を辞めたら自由なのかって言ったら

また別のしがらみに囚われるだけで

同じことの繰り返し

 

 

 

そんなこともつらつら考えると

自由でいたい

その自由は

しがらみから解放されることではなく

 

自分が自分を肯定して

自分はこれでいいんだと

認めて受け入れることなのかもしれないなって

思った

 

 

そしてそれを表現するのがファッションなのかもしれない

 

 

 

また最後にファッションにこじつけましたー

 

 

 

ちょっとややこしいことを考えましたが

まとまらずに終わります

 

 

 

 

いつかこの続きを考えてみよう

 

 

 

 

もし子