fashionclubのブログ

ブログ名は部活動のイメージでつけています。洋服好きな40代、アラフィフです。ファッションのこと、年齢の悩みなど書いていきたいと思っています。リアルな友だちに同じ趣味の人がいないので、服好きな方に仲良くしていただけたら嬉しいです。

カッコいいとは

好きな服を好きなように着ることが

 

カッコ良いではなく

イタイと

思われることもあるって

 

考えだすと

 

なかなか深い沼に入り込む

 

 

 

ファッションは自己満足だから

人にどう思われようと

いいじゃない

 

とも思うけど

 

 

普通に嫌だよね

イタイと思われるの

 

 

人から良いと思われたくて

服を着るわけでもないけど

 

だからと言って

どう思われても

気にしないわけじゃない

 

 

だってやっぱり

社会人ですから

 

周りの誰かを

不快にさせるのは

本意じゃないよね

 

 

洋服は

ハッピーじゃなきゃね

 

 

 

 

とは言え

イタイって言われても

好きなものは

好きだしなぁ

 

 

なかなかの葛藤です

 

 

 

 

 

わたしが

カッコいいと思う人たち

 

 

https://www.instagram.com/p/CK-hdvysoti/?igshid=zu2us3cmzres

 

https://www.instagram.com/p/CKlgpX4jy35/?igshid=819awal2b1qs

 

https://www.instagram.com/p/CKd4vaNhgrF/?igshid=19aitrhbowh0x

 

 

 

 

カッコいいと思うスタイル

 

https://www.instagram.com/p/CLCFnFhj39p/?igshid=nqye9ay9wifq

 

https://www.instagram.com/p/CHfSHgxjUWA/?igshid=8stuvfygkxqm

 

https://www.instagram.com/p/CJ-n0_NJ6Pf/?igshid=1sdyb3gmyz12p

 

https://www.instagram.com/p/B3C9ZCunnKF/?igshid=13tdf14rw4an

 

https://www.instagram.com/p/BdToo8mAk5s/?igshid=1bg11qdimx6oh

 

 

男性もいます

 

 

 

自分のスタイルがあって

 

もはやそれが生き方とも

言える

 

かわいいとか

カッコいいとかを

ちゃんと意識している人が

 

カッコ良いと思う

 

 

わたしもそうなりたい

まだまだだけど

 

 

 

 

カッコよくなるための

過程に

イタイ自分がいるのかも

しれない

 

でも

自分の好きを貫き続けなければ

わたしの思う

カッコよさには

到達できないのかも

 

 

それは

キングカズとか

レジェンド葛西とか

 

いや、引き合いに出すのは

失礼かもしれないけど

 

中途半端はカッコ悪いけど

そこまで一つのことを

突き詰めたら

かっこいいよね

 

ってこと

 

 

それが人には

理解されないことでもね

 

 

 

 

 

 

 

もし子

 

 

自分を客観視する

1990年代

ピンクハウスと言うブランドが

カルト的人気を誇っていました

 

ただのファッションではなく

生き方にまでも

影響しちゃうような

 

ひとつの文化だよね

 

 

 

古着でもピンクハウスは人気で

いついつのシーズンの

何々の柄で探す

コレクターがたくさんいました

 

 

実は

気になることがあって

ピンクハウスを検索したところ

とある掲示板で

 

 

 

ピンクハウスを着ているおばちゃんを見ると

正直イラつくんだけど

みんなどう思う?」

 

 

 

的な質問を見つけました

 

文言そのままじゃないですよ

もっと丁寧でしたが

 

まぁでもそういう趣旨の

質問でした

 

 

 

わたしは

ちょっと

だいぶね

 

突き刺さりましたよ

胸にね

 

 

 

 

わたしはピンクハウス

かわいいと思っても

着たいとは

思いません

 

だから

ピンクハウスがどうの

じゃなくて

 

 

若い頃と同じカッコをしているのが

イタイって

ことだよな

きっと

 

と思って

ヒヤリとしたわけです

 

 

 

 

コンサバも

お姫様系も

カントリー系も

ナチュラルも

 

若い子のそれと

年齢が

熟してからのそれでは

表現が変わりますよね

 

 

 

好きなテイストは

変えなくて良いけど

 

そんまんまじゃなくて

解釈を変えればいいって思うんです

 

 

それに

無理して変わるのではなく

生きていれば

自然にそうなるって

思っていました

 

 

 

わたしも

30代で

PUFFYに憧れるのはやめよう

と思い

 

模索し

足掻き続けて

 

今は年相応のカッコができている

 

 

 

気がしていましたが、、、

 

 

本当にそうかな?

 

 

若い頃と

服の着方

選び方

変わっているのかな?

 

 

不安だー

 

 

 

 

 

 

わたし、大丈夫なのか?

 

 

 

 

もし子

適当に着る

だいぶよい歳の大人だと言うのに

いまだに寝坊をしてしまうわたし

 

年齢近い友人は

最近寝坊ができなくなってきた

寝るのも疲れる

 

なんて言うけど

 

わたしはまだまだ

惰眠を貪ることができますよ!

 

 

 

変な自慢ですがね

 

 

 

そんなわけで

今日もすっかり寝坊をして

 

服に悩む暇はなかったので

 

一番手前にあった

薄手のニットとパンツ

 

気温もよくわからなかったから

とりあえずダウンで

 

調節のための

カシミアストール持って

 

パンをくわえて飛び出しました(ウソ)

 

 

 

自分がどんなスタイルになっているか

確かめる暇はなかったので

不安でしたが

 

駅の近くのコンビニの窓に映る自分を見て

まぁ、ヨシ

 

と安堵しました

 

 

 

適当に合わせた時より

考えて考え抜いた時の

スタイルの方が

失敗の確率が高いの

 

なんでだろ

 

 

 

 

 

 

もし子

 

 

 

 

ポケットの中には

わたしは

ポケットに手を突っ込んでいると

安心するタイプです

 

 

ポケットがない服は

ガッカリしてしまう

 

ついていない方が

スッキリして

デザイン的にも良いと

わかるものでも

 

やっぱり欲しい

ポケット

 

 

 

ポケットの魅力は

手を入れると

ホッとするのと

 

カバンに入れると

出すのが大変なものを

入れておけること

 

 

 

キーケースとか

交通系ICカードとか

スマフォとか

 

 

 

手ぶらで

どこまででも出かけたい

 

 

 

もし子

昨日の続き

わたしは

値段にとらわれず

ものを見れる人になりたい

けど

 

結局

専門的知識も

知識を得ようとする

探究心もないので

 

結局モノの価値は

値段でしか推し量れない

 

 

 

ただ

わかっているのは

 

 

モノだけでなく

行為にも全て

お金がかかっている

ということ

 

 

 

例えば

2,900円のスカートがあったとして

 

どれだけのコストが

かかるのものなのか

 

糸を作る人

布を作る人

布から服を作る人

 

糸にも原料があって

その原料を作る人

原料を調達して

売る人

 

洋服にはパーツもある

 

一枚の服を作るのにも

色んな人、会社が関わっていて

 

それを売るためにも

やっぱりいろんな人が関わってる

 

配送したり

保管するための

倉庫だっているし

運んだり

管理する人が必要

 

 

 

 

 

材料が安価だろうが

高かろうが

関わる人は同じだけいるはず

 

 

ユニクロみたいに

自社で

デザインから制作から販売までを

する会社なら

マージンは抑えられるんだろうけど

 

 

それだって

10,000円の服が2,900円に

なるものなの?

 

 

一枚2,900円の服を

いったい何枚売れば

関わる人みんなに

利益がいくものなのか

 

 

 

 

考えれば

考えるほど

 

わたしにとって

洋服は高くて当たり前のもの

 

 

安すぎると

何で?

って

まず考えてしまうんだよね

 

 

 

 

プチプラの服が当たり前になって

誰もが

ファッションを楽しめるようになったのは

喜ばしいことなんだろうけど

 

 

でもその楽しさが

単なる消費することの楽しさ

一時の喜びでしかないなら

 

そのために

一枚が一円の利益にしかならない服を

作り続ける努力って

一体なんだろうと

思う

 

 

 

 

着飾ることは

本能なんだって

何かの本に書いてあった

 

食べること

寝ることと

同じで

本能が求めることなんだって

 

 

だから

年齢も関係なく

経済的な事情とか

住んでいる環境とか

どんな状況にあっても

 

お洒落したいって思って

その望みが

平等に叶えられる環境にあることは

良いことだけど

 

 

それだけで終わらせず

世界がもう一歩

良い方に進んで

 

 

洋服に関わる

全ての人がハッピーで

 

尚且つ

環境汚染なんて

言われないようになったら

嬉しいよね

 

 

 

 

つらつら書いていたら

なんだか話が取り留めもなくなっちゃったな

 

 

そんな日もあるね

 

 

もし子

 

 

ありがとうの買い物

 

SNSなどを観ていると

 

よく

高見えって言葉が出てくる

 

高見えというのは

値段より高く見える

ってことらしい

 

 

高く見えるってのは

文字通り

"そう見えるだけ"

なのか

 

ま、まさか

これがこの値段で作れるとは(驚愕)

 

ってことなのか

 

そこが知りたい

 

 

"見えるだけ"なら

多分何回か洗濯すれば

すぐ化けの皮が

剥がれそう

 

 

 

 

ありえない金額設定だと

誰かが搾取されているんじゃないかと

不安になる

 

不正なことには

加担はしたくないからね

 

 

 

 

 

だから

どうして安くできるのか

また、どうして安くできないのか

服作りの仕組みが知りたい

 

 

 

 

 

 

一枚の洋服に出会うとき

わたしは

 

綿花を育てたり

羊を育てたりする人

それを糸にする人

糸を布にする人

服をデザインする人

そのデザインからパターンをつくる人

布をカットして縫製する人

 

服を作って売るまでに関わる

全ての専門家の人たちに

感謝する

 

こんな素敵な服を作ってくれて

ありがとうと

思う

 

作ってくれてありがとう

買ってくれてありがとう

 

ありがとうと言い合える

買い物って

すんごく素晴らしいって

思うよね

 

 

 

 

だから

ただ

高見え

ではなく

 

どうしてこの服が

この値段なのか

 

どんな工夫、努力をしてくれたのか

 

それを知れたら

不安な気持ちにならず

 

ありがとうって

思う買い物ができると

思うんだよね

 

 

 

 

高見え云々より

適正価格の買い物が

一番気持ち良い

って

思うんです

 

 

 

これって辛口かな?

 

 

 

 

 

 

もし子

若い子たちの流行に合わせることもないかな

昨日のブログでは

 

流行とは

同じに見えても

シルエットは

微妙に毎年変わるから

 

コートのような重衣料品も

セールで買わない方が良い

 

みたいなことを

耳にして

 

 

そんなら

数年前のコートを

大好きで着ている

わたしはダサいのだろうか

 

少しばかり

悶々としてしまいましたが

 

 

よく考えたら

若い人たちの流行に

追従せずとも

よいよね

 

って

思ってね

 

 

 

若い子らのスピードには

所詮ついていけないんだから

 

わたしはわたしが

好きって思うものを

 

大切にすれば良いよね

 

と結論したら

なんだか安心しました

 

 

 

わたしも現役バリバリだから

世間の影響は

当然受けているし

 

自然に気持ちは動いて

変わっていくでしょうが

 

情報を

必死になって追いかけて

自分をそこに合わせる必要は

ないんだよね

 

 

そうだった

いつも

そう思っていた

 

 

それなのに

ミーハーなわたしは

ついつい色んな言葉に

振り回されちゃう

 

 

いつも同じところを

ぐるぐる回っているなぁ

 

 

 

 

我が道をゆく

不惑の心を持ちたい

もし子