fashionclubのブログ

ブログ名は部活動のイメージでつけています。洋服好きな40代、アラフィフです。ファッションのこと、年齢の悩みなど書いていきたいと思っています。リアルな友だちに同じ趣味の人がいないので、服好きな方に仲良くしていただけたら嬉しいです。

(つらつら考える)着ると心が浮かれる服

減価償却とは

企業会計における

固定資産の

購入費用を使用可能期間に渡って

分割して費用計上する

会計処理のこと

 

 

洋服を買うときにも

この考え方を使うことが

ままある

 

「5万円か、高いなー

あ、でも5年着たとしたら

1年1万円ってことだよね

それなら良いんじゃない?」

 

と言う具合にだ

 

 

洋服中毒なら

一度はあると思います

 

 

 

しかしながら

この考え方には落とし穴があって

 

 

買うときは一年以上着るつもりでも

 

着てみたら思っていたのと違った

飽きた

デザインが古くなった

好みが変わった

体型が変わった

 

などの理由で一年で

着なくなってしまうこと

 

洋服は固定資産ではなく

消耗品なのだ

 

 

そうなったら

1年5万円の服だ

 

どこかに売ったとしても

1年1万円の計算には

ならないだろうし

 

売る手間のことを考えたら

頑張ってもう少し着る

と言う選択もある

 

でもそれだと

ものすごくテンションが落ちる

 

 

着た時の

ワクワクして

みんなに見せたくて

ドヤって気持ちは

 

最早ない

 

 

 

とすると

流行りもの

デザインが強いものは

どんなにときめいても

高い金額を出すのは

ちょっと考えものなのかな?

 

 

流行に左右されない定番品や

シンプルな服は

それこそコーディネートを組み立てる時の

部品として考えて

良いものを買っても良いかな?

 

 

買い物するときに

今の気持ちだけでなく

そんな打算をするのは

とても疲れることだなぁ

 

 

 

 

そこまで考えていて

 

あ、そうだと気がついた

 

経年変化によって

買ったときよりも

着続けてもっと

(自分にとって)価値の上がる服もあるよね!

 

 

例えばデニムとか

革ジャンとか?

 

 

わたしにとっては

ダニエラ・グレジスの

オーバーダイのシリーズなんかは

そうかも!

 

洗濯するほどに

オーバーダイした色が落ちて

雰囲気が変わってくる

 

いつまでも

ウキウキした気持ちで着られる服!

 

それって

ものすごーく

コスパが良いのではないかな?

 

 

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買った時よりも何年も着た

今の方が好きな服です

 

 

 

 

もし子

 

 

 

 

 

似合わないのではなく見慣れないだけ

わたしは服を買いに行くんだったら

一人で行きたい

 

理由を述べるのは

ちょっと痛い

心にダメージを負うが

でもあえてさらけ出そうと思う

 

 

 

第一に

わたしが服に出す値段を

友だちに知られたくないのです

 

 

わたしの友だちは

シャツに一万円も出すなんて😱‼️

って言う人がほとんど

 

服は消耗品なのです

 

 

どのくらい興味がないかと言うと

このブログでも

買わないくせに取り憑かれたようになって

呟きまくっていた

ユニクロ+Jのこと

 

 

え?

なにそれ???

UNIQLOなのにたっかー

って言う人がほとんど

 

 

良くても

 

あー

なんか聞いたことある

ジルサンダーとのコラボでしょう?

 

 

くらいの関心の薄さ

 

 

だから

わたしが服で興奮したり

ときめいたりするのは

信じられないし

 

 

たかが布に

ウン万円も出すなんて

信じられないだろうし

多分、怒られる(何故か泣)

 

 

 

 

第二には

ゆっくり見たいわたしに

付き合わせるのが悪い

と思うからです

 

 

 

だから一人で買いに行く

 

 

 

 

 

 

友だちの買い物にも

基本は付き合いません

 

だって

言いたいこといったら

ウザがられるに決まっているし

思ったこと飲み込むのはしんどいし

 

 

 

 

服好きな人って

わたしの知っている人限定かもしれないけど

 

試着は当たり前だし

試着室から出てきて

全身チェックする

 

どうかなぁ

と言いつつ

褒め言葉は受け入れてくれる

 

 

体型的に似合わないのは

致し方ない

 

けれど

綺麗に着られているなら

 

その印象が

似合うか似合わないかより

 

その服が

好きかそうでないか

で考えてる

 

 

 

 

服に興味がない人は

その服を見て

いいなーと言っていても

 

大抵

自分は似合わないって言う

 

試着をすすめても

どうせ似合わない

試さないで服を置いてしまう

 

 

わたしは

いいなーって気持ちを

もっと大切にして欲しいと思うが

 

大きなお世話なので

言わない

 

 

 

無難な服ではなく

好きな服を着て欲しい

 

似合わない服なんてないよ

見慣れないだけ

 

多少背伸びかもしれなくとも

着こなす工夫をしようよ

チャレンジしよう

 

そう喉元まででかかって

飲み込む

 

そんなこと本当に言ったら

ウザイに決まってるし

 

 

 

だから

服に関しては

基本

一人行動

 

 

とはいえ

寂しさもあるから

インスタやら

ブログやらをやっているのでした

 

 

 

 

少しばかり

アンニュイな気分に浸っている

もし子

 

 

 

 

 

ものの価値

 

SALE時期になると

考えてしまうことがある

 

ものの価値ってなんだろう

 

洋服が世に出るまでって

素人が考えても

多くの過程を経ると思うよね

 

作るだけでも

調査

企画

立案

準備

試行

作成

確認

 

それから

配送

陳列

販売

 

 

ちょっと考えただけでも

たくさんの人が

関わっているのがわかる

 

洋服を作る人は

世の中の先を読んで

想像力を働かせて

イメージを具現化して

それを人に伝えなきゃならない

 

複雑で

神経を使う仕事だと思う

 

 

そうやって作られた服が

定価で売れるのは

半年もない

 

時間が経つにつれて

鮮度が落ち

価値が下がっていく

 

 

 

 

 

私たち消費者は

洋服の値段を

原材料はいくらかってだけで

高すぎるとか

安くていいねとか言って

判断しがちだ

 

 

SALEになると嬉しいし

SALEが当たり前になると

定価で買うのがバカらしくなっちゃう

 

SALEの値段が

適正価格って

思えてしまうから

 

 

 

 

 

目に見えないもの

手に取れないものの価値を

はかるのは難しいけれど

 

気が付かない

考えもしない人には

なりたくないなと思う、、、

難しいけどね

 

 

 

そうして最近考えるのは

中古品の価値って

どう判断すれば良いのかなってこと

 

 

一度誰かの手に渡ったものは

そこで作り手には対価が渡っているから

 

それをまた誰かに売るときは

そのものの純粋な価値を判断されるんだよね

 

 

その価値とは

そのものにどれだけ欲しい人がいるかって

ことなんだろうけど

 

どうしてみんながそれを欲しがるのか

それについて考えちゃう

 

 

ある人はそれを

洗脳のようなものって

言ってた

 

 

このことについて

誰かと徹底的に話しをしてみたいんだけど

 

こんなこと真剣に

一緒に考えてくれる人が身近にいない

悲しさよ

 

 

 

いつか

ストンとくる答えに辿り着けるかしら

 

 

 

 

 

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特に話題には関係のない写真

 

もし子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コーディネートにはロジックよりストーリーを

ファッションに

方程式を当てはめれば

オシャレの答えは簡単に得られる

 

日本に洋服の文化を持ってきた方々が

まずやったことは

だ、である調で

ファッションを語ること

 

こうするとオシャレって

ハッキリ言うこと

 

 

今は多様性

個性の時代

 

これがオシャレだ!

なんて言うと

叩かれちゃうから

自分はこれがオシャレだと思うよ!

自分はこれが好きだよ!

おすすめだよ!

的な言い方になる

 

 

そこでロジックの出番

 

これにはこれを合わせなさいという答え

じゃなくて

こう言う式を当てはめると

自ずと同じ答えが出せるでしょ?

 

ってことだ

 

それは

オシャレを語りやすいし

そしてたしかに方程式を使えば

誰でもオシャレにはなる

 

 

ただし

みんな同じ答えを出しちゃうと

少しばかり

退屈にもなってくる

 

優等生ファッション

 

そうなると

オシャレって何だっけ?

という疑問が湧いてくる

 

 

 

わたしは服が好きだから

いろいろなYouTuberさんの番組を

観ているけれど

 

飽きずに観ていて

素敵だなぁと思うのは

ファッションにストーリーがある人

 

 

そのストーリーは

その人の生きてきた道だったり

創作だったり色々だけど

 

着やすい服や

着たら誰でも素敵になれる服より

 

みんなはどうか分からないけど

自分の心にはビビビっときたんだよって

服を熱く語ってくれるのが

イイなと思う

 

 

 

 

そんなことをドトールでコーヒーを飲みながら

つらつらと考えた今日この頃なのでした

 

 

 

 

 

 

もし子

 

 

 

 

 

 

 

イメージが固定されることに不自由さを感じること

最近、今まで築き上げてきた自分のイメージを

ぶっ壊したくなっていて

 

 

いや実際のことろ

自分が他人にどう思われてきるか

見られているかなんて

わかりっこないんだけど

 

 

とにかく

 

オシャレだね

かっこいいね

 

って言われたくて服を着ていたのが

急にそう思われたくなくなったというか、、、

 

 

 

なんだろうこの気持ちは

まとまらないんだけど

 

決めつけられたくない

 

服好きな人という

わたしの一面が

わたしの手に負えないぐらい

大きくなったら困る

 

 

そういうことなのかもしれない

 

 

 

だからなのか

何故か急に

むかーしむかしの

スヌーピーのTシャツを着ちゃったりして

 

 

 

 

アラフィフなのにキャラクターTシャツを着ている自分

人からは痛いと思われているかしら

ふん!

だからなんだってんだ!

 

 

と、まぁ

 

これまで

オシャレ好き

洋服好きな

イメージの積み上げを

ぶっ壊すような

とにかく

ややこしい衝動を抱えております

 

 

 

何十回目かの反抗期?

もしくは更年期なのかなぁ

 

 

 

 

 

わたしはいつも

服装から

自分の職業が透けて見えるようなのは

嫌で

 

 

この人何やっている人なのかなぁ

と見た目からは想像できないような

カッコをしていたい

 

仕事と

プライベートの切り替えを

服を着替えることでやっているのだけど

 

 

それは

自分を一面でしか見て欲しくない

という欲求なのかもしれない

 

 

 

服に悩んで困っていた30代から40代前半

 

今はワードローブも完成されていて

着るものに困ることも

ストレスを感じることも

少なくなったんだけど

 

今はあえて

困りたいし

ストレスを感じたい

この気持ちはいったい

どこに着地するかなぁ

 

 

 

教えて

wee weeちゃん

 

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もし子

服はあるのに着るものがないことについて

服はあるのに着るものがないって

わたしにも経験があります

 

それって

 

 

冷蔵庫にあるもので料理ができないって

ことと似ている

 

レシピがあって

材料が全部揃っていて

その通りに作ることはできる

 

でもその材料を使って

他の料理は作れない

 

 

ましてや創作料理なんて

無理

 

 

 

どうすれば料理が上達するのか

 

 

いろんな料理を知ること

食材の味や特徴を理解すること

調味料を知ること

食べてみること

 

 

人に教わって覚えるか

レシピの通り実践を積み重ねて覚えるか

 

いずれにせよ

とにかく経験を積むしかない

 

 

 

服も同じ

 

 

 

 

 

だけどなぜ?

 

こんなにたくさん服を買って

毎日服を選んで

着て

SNSもチェックして

経験を積み重ねているのに

やっぱり着る服がない

 

 

 

いったいなぜなんだろうか?

 

 

 

 

経験とは

それをしたことがない状態から

したことがある状態になること

それによって知識や技能を得ること

 

 

それはつまり

誰かの真似しているだけでは

経験は積み上がらない

と言うことなのではないか?

 

 

 

自分で服を選ばなければならなくなったとき

最初は雑誌やインフルエンサーなどの

真似をする人

多いと思う

 

真似をしながら

自分に似合う色、形

好きな色、形

なりたい自分のイメージなどを

獲得していく

 

でも

そんなこと考えず

ただ漠然と誰かの真似をしているだけだと

知識も技能も身に付かなくて

 

結果

ずっと誰かの真似をし続けないと

ならなくなる

 

 

 

 

YouTubeでシトウレイさんが

筋肉と同じで負荷をかけないと

センスは磨かれないって言っていて

 

そうだそうだ

たしかにそうだと思ったのでした

 

 

 

難しいアイテムにチャレンジしたり

無難な服ではなく

着たいけど難しそうな服に

どんどんチャレンジすること

 

 

失敗しないようにするのではなく

バンバン失敗すること

失敗しても

なんで?どこがダメだった?って

考えること

 

 

 

 

ああそうか

 

お洒落な人が

知性に溢れて見えるのは

そう言うことなんだな

 

 

 

そんなことを考えて

スケスケシャツにチャレンジしてみた

わたしなのでした

 

 

 

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でもやっぱり

オーバーオールと合わせる以外の

着こなしが思いつかないんだよなー

 

 

悩も

 

 

 

もしこ

 

 

 

 

 

服に自分を合わせるか自分に服を合わせるか

タイトルに

ややこしいことを書きましたが

 

服の選び方

それから服との向き合い方は

動作の主体がどちらにあるかによって

変わりますよね

 

 

 

 

服に自分を合わせる人は

 

そのブランドの世界観が好きとか

好きなインフルエンサー

着ていたからとか

 

その服の持つイメージ

つまり

自分の外側に

憧れのイメージを持っていて

 

それに近づけるよう

自分自身を磨く人

 

 

 

 

 

 

一方

自分に服を合わせる人というのは

 

自分はどんな人間なのか

どんな価値観を持っているのか

何が似合うのかを模索する人

 

 

自分のありのまま

内側を服で表現したい人

 

 

 

 

 

 

 

服を選んで着ることは

どっちにしても

自分を演出することだと思う

 

 

自分の内側を表現すると言っても

自分なるものを

完全に捉えることはできないと思うから

多少なりとも願望が混ざる

 

自分が知りうる

本当の自分なんて

所詮はイリュージョンなのだ

 

 

 

 

 

要するに

洋服に

どうアプローチするのか

その違いだけのことなんだけど

 

どちらのやり方が

楽に早く

目標に到達できるのかなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしはどっちだろうなと考えると

わたしは前者だと思う

 

こうなりたい

って像がある

 

 

でも残念なことに

服は真似できても

中身を磨いてこないから

おかしなことになって

 

 

楽に早く素敵になりたい

なんてずるいこと考えているからか

 

真似すれば

真似するほど

理想から遠ざかる事態が

勃発しております泣

 

 

 

 

 

 

もし子